教会案内

Church guidance

川崎境町教会の歩み

1921年川崎での伝道がはじまり、翌年、日本福音教会の川崎福音教会として設立され、1927年に教会堂・幼稚園園舎が川崎区境町に建てられました。
1941年に日本基督教団に合同され、1944年の戦時下に疎開命令で現在地移転し、川崎大空襲でも奇跡的に消失を免れました。
現教会堂は1977年に建てられ、翌年に現幼稚園園舎ができました。
初代主任牧師、久山峰四郎、2代目太田義英牧師、3代目有賀忠助牧師、4代目佐川俊也牧師、5代目佐竹拓平牧師、6代目今野善郎牧師、7代目宮澤恵樹牧師。
100年余り地域に根ざし堅実に歩んできました。

日本基督教団

日本のキリスト教は、大きくプロテスタント、カトリック、ロシア正教に分かれ、川崎境町教会はプロテスタントに属します。
プロテスタントは約500年前にヨーロッパ宗教改革から生まれました。
聖職者を牧師と呼び、各教会が自主自立した運営を行っています。
日本基督教は1941年に創立した合同教会で全国に1700余りの教会があります。

礼拝堂のステンドグラスとオルガン

ステンドグラスは、フランスの20世紀を代表するステンドグラス作家ガブリエル・ロワール(GABRIEL LOIRE1904年~1996年)。図柄は、豊穣のシンボル葡萄の樹。正式には「スカルプチャードグラス」と呼ばれ工法で、ステンドグラスと異なる厚板彩色ガラスを使用し、金槌でまわりをそぎながら形を作ります。そのために出来た面がプリズムのように屈折反射し、色彩に一層の深みと味わいを出し、朝夕では異なる味わいとなります。1977年に現会堂が建築される際に設置されました。ガブリエル・ロワールの作品は、世界中の宗教施設や美術館などに納められ、日本では宮城学院女子大学礼拝堂に見事な巨大なステンドグラスがある他、箱根・彫刻の森美術館にも設置されています。
 礼拝堂の両脇にある2本の柱の柱頭には、ナツメヤシ(勝利の象徴)が彫られています。1927年に建てられた前会堂から移築し、昭和初期の福音教会会堂の様式を今に残しています。また礼拝堂には100年ほど前のリードオルガンが今でも現役で使用されています。どうぞ、興味ある方は、二階の礼拝堂の自由にお入りください。
礼拝堂のステンドグラスとオルガン

礼拝堂と十字架

最初の礼拝堂は、福音教会川崎福音教会として、川崎区境地町17番地に1927年(昭2)に建築された。戦時下の建物疎開令で礼拝堂を移動せざるを得ず、曳家で境町13番地に移った。1945年4月15日の川崎大空襲では、一面焼け野原の中で奇跡的に焼失を免れた。残された写真で、尖塔に立つ十字架はクローバー十字架である。この三枚のクローバー葉形は三位一体をあらわし、下田教会など初期の福音教会に見られる。現在の礼拝堂は1977年9月に献堂され、同じクローバー十字架が継承している。

福音教会(旧教派)について

1941年、日本基督教団に合同されるまで、当教会の正式名は「日本福音教会 川崎福音教会」。教派名が「日本福音教会」であるため、「教会」が2度つき混乱しまうが、この名称は米国福音教会から日本伝道に最初に派遣されたクレッカー宣教師が、友人であるフルベッキ、ハリス、ヘボン、バラなどと会談し、「日本福音教会」を教派の正式名称として使用することとしたものである。
米国福音教会はペンシルベニア州モントゴメリー郡のドイツ系移民たちにはじまった。創設者はジエイコブ・オールブライト(1759年~1808年)で、彼は所属も信仰理解もメソジスト信徒であったが、多くが農民であるドイツ系移民にドイツ語で福音を語り、彼の素朴で篤い信仰に打たれた者たちが群れとなり、福音教会の萌芽となった。様々な変遷を経て、1807年に群れは、独立教会を宣し、福音教会とした。
1823年頃にリバイバル(信仰覚醒運動)が起こり、教師数・信徒数も増し、ローカルチャーチ(地方教会)となった。その後も教会の組織化と宣教地域が拡大し、1870年頃に教勢が順調に増した。その後、内部分裂と再合同を経験し、教会数2916、教師数431名、会員約26万人を数えるまでになった。1926年に米国同胞教会と合同し、1968年には米国メソジスト教会と合同し、その歴史的役割を終えた。
米国からの日本へのプロテスタント宣教師初来日は1859年。米国福音教会からクレッカー宣教師を責任者とする3名の派遣は、他の教派から遅れること17年、1874年に東京と大阪ではじまった。メソジスト教会と同じ監督制をとり、会議により選ばれた総理(代表)に強い権限が与えられ、教師は任命され、任期は1年ごとであった。当初より、福音教会は異教地日本に根付くために伝道と教育を両輪とし、教会と一緒に幼稚園を設置する宣教方法が1910年頃から明確になり、その為に婦人宣教師の来日が多くなった。
1909年、日本福音教会の黄金時代を築き、最後の総理となった(在日期間48年)メーヤー宣教師夫妻が来日する。当教会にもメーヤー宣教師は深く関わり、1921年に川崎での伝道が開始されている。1941年6月24日、宗教団体法により、福音教会も約37教会をもって日本基督教団に合同し約64年に及ぶ活動を中止し、発展解消した。戦後、福音教会の財産は各教会に譲渡され、本部のあった下落合の目白英語学校、宣教師館(現在は移設)と土地は、戦後いち早く来日したメーヤー宣教師を中心に、現在の日本聖書神学校の設立により継承されている。
メーヤー宣教師
メーヤー宣教師

結婚式

結婚式を挙げることができます。神様に二人が出会いを与えられ、結婚の決意まで導かれたことを感謝し、生涯、共に愛し合うことを神様に誓います。詳細は牧師にご相談ください。

葬儀

故人の生涯を振り返りながら、生前に神様からいただいた多くの恵みを感謝して行われます。若い時に教会に行っていた、信者ではないが是非キリスト教で葬儀をしたいなど、ご希望にそって教会で葬儀を行うことができます。詳細は牧師にご相談ください。

コンサート

礼拝堂のステンドグラスとオルガン

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